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M&Aインタビュー

中川 徹也(GNインターナショナルホールディングス株式会社)

売上30億円から負債20億にアパレルから飲食業、そしてバイアウトまでの経緯とは

最初の起業から飲食店を始めるまでの経緯を教えていただけますか?

24歳の時にアパレル業界で創業して、最終的には20年間続け売上は30億くらいになったのですが、当時はバブルで銀行からの過剰融資だったり株、不動産も含めて結局気が付いたら売上30億に対して本業以外の借り入れが20億っていう状況になっていたんです。

支払利息も大変だったし、当時アパレルの大型倒産が結構あって自分たちもかなりの金額の不渡りをもらってしまった。一番大きいのは北海道にあるアパレルチェーンで、最終的に1億4000万円程。とてもじゃないけど耐えられず、当時は民事再生法が無かったので会社更生法で一度不渡りを出しました。ただ取引先さんや社員がいるので、もう一つ別に会社を作ってそこに全て移して、旧会社は僕だけが負債20億を持って残り・・・。そこから2年ぐらいたって、次は飲食をやろうかと。45歳からが飲食業界のスタートです。

どのような飲食店をどう展開されていったのでしょうか?

飲食は素人だったので一番簡単な業態からと考えて、うどんから始めました。今の時代のようにネットが無い時代なのでタウンページから「うどん」を引いてメーカーさんを探したり、うどんといえば讃岐なので本場に行って食べ歩いたりしました。

とあるお店の醤油出汁が美味しくて、店主にどこの醤油を使ってるのか教えてほしいと頼んで。普通だったら教えてくれないですよね(笑)でも田舎の人はいい人で、東京でうどん屋を始めるから醤油を卸してほしいとお願いしに行きました。

そしてどうせやるのであれば、ただのうどんではなく何か特化しなければいけないと思い「カレーうどんの専門店」として「中川屋カレーうどん」の1号店を上野に、2号店を駒澤大学前に出店しました。その後はFCを始めましたが、経営的に難しい店舗が出てきたり上手くいかないケースが多くて、このまま増やしていくと大変なことになるなと思いFCをやめて直営店だけに残しました。

その次は居酒屋ですね。自分の生まれ育ちが三軒茶屋だったので、三軒茶屋で一番古く生き残っている居酒屋って何だろう?と探しみてみたら「もつ焼き屋」だった。当時カレーうどん屋を任せていた役員に2年ほど修行に行ってもらって、そこから「エビス参」をオープンしました。1号店を三宿、2、3号店を三軒茶屋、その後中国・上海にも出店しました。

アパレルから飲食、うどんからもつ焼き、そして中国に進出し、国内と海外の両輪ができ上がり、今後は海外を広げていくのかなと感じていましたが、なぜそこでバイアウトする決断をされたのでしょうか?

上海の後、タイにも出店したけど失敗したんですよ。タイの場合は、物件を探しているときは乾季で雨が降っていない状態で契約をしたんですけど、いざオープンしたら雨期になって目の前の道路が水没してお客さんが来られなくなってしまったりして。

タイの人はお酒を飲まないし、日本の駐在員を相手にするとなると焼酎や日本酒を置かないといけない。となると、日本から輸入することになるんですけど輸入関税が200%だったりする。だからタイで成功している日系の飲食店は、お酒を売らないビジネスですよね、お酒を売っている日系の飲食店はタイではなかなか難しい。海外って行ってみて初めてわかることがたくさんあるんですよ。

そして日本でも、良い人材が集まらなかったり雇用が大変ですよね。このまま店舗を増やして行ってそういったリスクは取りたくなかった。じゃあFCにしようかと考えたけれど、カレーうどん屋の時に一度FCで失敗していた経験があるから、やるのであれば直営店だよなと。ただ直営店だと自己資金でどんどん出店していくことはできないですよね。そうすると外から資金調達するなりしていかなければならない。それなら大きなしっかりとした企業にバイアウトした方が社員も幸せなのではと考えました。あとは、その頃60歳近かったので、自分自身、少し楽になりたいなみたいなのもありましたね(笑)

非常に論理的な意思決定ですよね。ただ、もっと伸ばせるポテンシャルもある中で売却に踏み切った、そこの迷いはどのように断ち切ったのでしょうか?

今の時代、飲食チェーンが前年比100%超を続けていくのって難しい時代ですよね。特に労基も大変で、昔は12、13時間働いていて当たり前の世界だったけれど今はそうはいかない。飲食店も効率や個人の生産性をちゃんと把握した上で経営していかないと利益が出なくなっていくし、今年は消費税もまた上がったりで逆風が多い。ファミレスとかは別にしても、大手の飲食チェーンの勝ちパターンはずっとは続かないですよね、今は良くても5年後にはきつくなってくる。

その中で利益確保というと、経費を抑えていくしかないわけだけど、なかなか人件費を削減するのって難しい。それに伴って家賃の値下げ交渉する会社や、水道を節水する会社だったりコストカットを目的とした企業が増えてきて、飲食チェーンを取り囲む環境も変わりましたよね。

直接、僕が飲食チェーンを経営するよりも、飲食チェーンがこれからぶつかる課題を外からサポートできる仕事をしたいと思ったんです。

バイアウトすることを決断した後はどういうアクションを取られたのでしょうか?

まずM&A会社の知人に連絡を取ってバイアウトを考えていることを伝えたら動いてくれて8社程手を挙げてくれました。そこからは個別に面談したり社長と会食したりして、最終的に2社を残してどちらにするかというタイミングで、結果売却先となるテンポスホールディングスの会長から「売却の話を聞いたんだけど」と連絡をもらいました。そこで本社に伺って現状を伝えたら、こちら側の条件を全て飲んだ上で全部買うから他社は断ってほしいと。決算書も何も見せてなかったのですが(笑)

売却先を選ぶ基準は?

息子を会社に残すこと、そして株を残すこと、僕が引き継ぎの1、2年は残ることなどが条件としてありましたね。僕も自分で創業した店ですし社員も可愛いのでギャラどうこうではなく関わっていたいという思いがありました。

その中で期限を切らないで顧問としてずっと残って欲しいと言ってくれたり、条件を全て飲んでくれたのがテンポスさんだけでした。いまだに顧問として出店や物件をジャッジする際も、ある程度権限を持たせてやらせてもらえているのでありがたいですね。

M&Aは株式譲渡と事業譲渡でかなり変わってきますが、どちらでしたか?

うちは事業譲渡ですね。株式譲渡でも良かったんだけれど、海外にも株があるので事業譲渡にしました。事業譲渡では賃貸借契約を全部店舗ごとに巻き直さないといけないのが面倒でしたね。

ただ買う側からすると株式譲渡の方が見えない債務があとから出てきたりする、っていう話をよく聞きますよね。事業譲渡だと単純にその店舗だけの話だし、買う側からするとリスクが少ないのかなと思います。だから一概にどっちがいいとは言えないし、ケースバイケースだと思います。

規模を追うのではなく無から有を生むところに情熱を傾けたい

役員や従業員への告知はどのような段階で行ったのでしょうか?

まずは役員に個別で伝えて、その後に社員に告知という順番ですね。バイアウト自体初めてのことだったので、相場も初めて知ったし、売却後の従業員の給料の保障とかについて何社かとお話しさせてもらった時の感覚で、これは売れるという感触を掴んでから、売却の半年くらい前に当時の役員に話をしました。

当然、最初はみんな驚いたし、当時は利益も出ていたしなぜ売却なのかっていうところから話しました。創業から一緒にやってきた人間なので会社に対しての愛着もあるし、頭ではわかっているけど気持ち的に割り切れない。でもそこを納得してもらって、社員には売却後も収入とかは変わらないし約束する、としっかり説明しました。逆にうちよりも大きな会社で、しかも上場会社であれば個人的信用も上がるというメリットもありますよね。

株式公開を目指すという方向もあったと思うんですが、その選択肢無かったのでしょうか?

僕の場合は最初から無かったですね。

新たなブランドを作って成功パターンが2、3個出来上がって、絶好調だからこれを100店舗に拡大していこう、となると気持ちが覚めてしまうというか(笑)それがなぜかと言われると自分でもわからないんだけども、それよりも何もないところでカレーうどん屋やもつ焼き屋を作ったり、規模を追うのではなく無から有を生むところに情熱を傾けたいし、そこに燃えるんですよね。ある程度の形ができたらバイアウトして新しいことをしていきたい。そういう思いがありましたね。

最後にM&Aを悩んでる人に何か一言いただけますか?

直近ではなく10年先など長いスパンでどうなるのかを考えて、今自分が10年頑張るよりは、他の会社さんの力を借りてやっていった方がいい場合もあります。

大事なのは売るタイミングで、最高値で売れればそれがもちろん一番良いけれど、欲をかくのではなく「まだもったいない」というところを落としどころにして手を打った方がいいと思います。

そして株式譲渡でも事業譲渡でも、まず役員や従業員の気持ちを一番に考えてあげて、その辺の話し合いはきちんと時間をかけた方がいいと思いますね。

いくらAIやITが進んでも、やっぱり最後は人です、飲食業は特に。

僕は売却後もずっと関わらせてもらって、客として行ったり友達連れて飲みに行ったりして、店長たちとも今まで通り何も変わらず顔を合わせている。なので元気が無さそうだったりしたら声をかけるし、相手からしても話しやすい。そうすると大事になる前に、小さいうちに早めに解決してあげることができる、それが大事なんですよね。退職者も少ないし、そういう人の心のケアは売却に関わらず大事にしてほしいですね。

中川 徹也 プロフィール

1954年6月14日、東京都世田谷区三軒茶屋生まれ。
高校卒業後、美容専門学校に進学。卒業と同時にアパレル業界に進み、24歳で起業、売上30億円の会社に育てあげる。20年後の2001年飲食事業に乗り出し、「中川屋カレーうどん」「エビス参」を立ち上げ、中国・上海への進出も果たす。その後、テンポスホールディングスへ事業売却。